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能登半島夫婦巡業記
初級 吉田 惠公

僕たち二人は金沢の兼六公園に行ったことがあるが、能登半島を巡ったことは無かった。
だから能登半島巡りは二人にとって長い間の夢だった。 だけど家を建てたり、病気になったり、まあ色々な事があって行きそびれていた。 そのうちに成子の病気が重くなって,能登巡りなどと言う表現さえ全く出来なくなった。
こりゃーいかん、早く実行しなくちゃ〜との思いで、昨秋出掛ける事にしていた。

ところが成子が肺炎と脱水症で入院騒ぎ、旅行どころか命が危ないと言われ、40日間の入院後、もう寝っきりになるのでは、と言われながらリハビリ開始。
半年後に1日に300メ−タ歩けるようになり、退院後一回も使わなかった「胃婁」外しの手術もした。
僕自身の体力作りを図り、床に尻もちついた成子を立ち上げるこつと体力を身に付け、看護師さんから指導を受けて「摘便」の技術も身に付けた。

よし、少しずつ旅行してみよう。今年の2月から2泊3日の旅行を再開した。
いける・いける、こりゃ大丈夫だ。この分なら毎月行けるぞ。8月に二ヶ所で4泊してみて、全く問題なしの結果、これなら秋に、能登巡りを実行しよう。
昨年下調べしてあるので、計画は割と早く出来あがり、宿の予約に取り掛かる。
一番予約の取りにくいと思われた奥能登の“ランプの宿”を決めてから、他の宿の予約を取った。宿は全て2泊ずつとし、車で移動中の観光は殆どせずに、ゆっくり休養を取りながら行くことにした。旅行中の汚れものをどうするか、で新しい宿に着いたら、前の宿の汚れものを真っ先に出して洗濯屋に回してもらうよう、各宿に連絡した。

泊まる宿は銀波荘(西浦)、お花見久兵衛(山中)、能登の庄(輪島)、ランプの宿(奥能登)、加賀屋(和倉)、山のホテル(新穂高)、槍見館(新穂高)。山のホテルのみT泊、後は2泊ずつ。計13泊14日間の旅行である。

娘も息子も、お母さんを連れて、長過ぎる、という意見もあったが、安全を考えると短くは出来ないから、計画の変更はしなかった。
10月24日午前9時45分出発。
「お母さん、富士山だよ」 と言っても、成子は目を開けない。それでも道中出来るだけ声を掛ける。

新東名を走る。こんなに走り具合のいい道路があるんだとびっくりする。宿のチェックイン15時よりもT時間位早く着きそうなので、途中のサ−ビスエリアでゆっくり休憩しながら宿に入る。 「ほら、もう着いたんだよ」
予約済みの車椅子に目をつぶったままの成子を乗せて、部屋に入る。露天風呂付きの大きな部屋、2間以上はあると思われる大きな窓ガラス一面に太平洋が広がっている。突き出た 堤防の上で釣りをしている人も見える。
とてもいい眺めだ。我々にとって眺めいいのは宿を決める必須条件で、宿にいる日は宿から出ないで一日中外の景色を眺めて過ごすことが多い。
部屋に入ると何時もトイレとお風呂を見に行く。トイレは便座の前にかなりの余裕がないと、排便の作業がし難い。お風呂は成子が入り易いかどうか。 トイレはよかったがお風呂に問題があった。

車椅子は廊下に出しておき、大きな移動の時だけ使うが、部屋の中は勿論のことレストランへの移動も、手を支えながらの歩きです。
日頃散歩をしているので、歩きには自信がある。又宿に泊まりながら一日にニ、三回宿の廊下を散歩します。これを怠ると成子は直ぐによろめき出す。

 問題のお風呂は湯船の前に高い一段があるから成子はそこに上がれない。
で初日はフロントの男性に手伝ってもらって、貸し切り風呂に入る。二日目は部屋のお風呂にはいるべく挑戦する。
仲居さんに応援をお願いして、よしやるぞ、と気合を入れて掛かる。

高い一段に成子を立たせる作戦で、先ず成子を高い一段に腰かけさせる。両足を持ち上げて回し同じ段に乗せる。 これで成子は段の上で尻もちをついた状態。そこから成子を引っ張り上げて立たせる。
全力を振り絞らないと出来ない作業で、仲居さんに協力してもらう。どうにか出来た時に、やった!という喜びが湧き上がる。直ぐに僕も段に立ち上がり、湯船の縁に成子を腰掛けさせる。

仲居さんに成子の上体を支えてもらいながら、僕が両足を持ち上げ回して湯船に誘い込む。
予め湯船の底に入れた台に成子を腰掛けさせる。 この一連の作業は何遍やっても緊張してしまう。大きな緊張は解けたものの、成子の体を押さえておかないと、お風呂の中で体が浮きだしてしまったりする。 お風呂から出す時も同じ手順で全く気が抜けない。
ゆっくり温泉気分に浸るには、後で単独入浴しかないのです。 初日の夕食の時、おかみさんが挨拶に見えた。 「こんなに山の様な御馳走はとても食べ切れません。減らして下さい」 「そうですね、明日は全体の量は減らして、美味しいものだけを選んでお出ししましょう」 そして、「よくこんな遠いい処まで来てくれましたね。 次は山中温泉のお花見久兵衛さんですか。太平洋から日本海まで一跨ぎ。病気の奥さんを連れて、こんな人は今迄見たことが無い。幸せな奥さんですね。」 「いえ、僕が行きたいのですよ」
おかみさんは、お花見久兵衛のおかみさんはとても美人だ、と教えてくれた。 二日目の昼間は何時も昼食抜きにしている。そうでもしないと御馳走の夕食が食べ切れない。そして昼抜きによって時間の余裕がずっと出て来るのが有難い。成子を車椅子に乗せたまま宿の前の砂浜に出てみた。成子は目をつぶったままじっとしている。波の音や海風や潮の香りを感じてくれただろうか。 分ってくれただろうと勝手に想像している。  10月26日10時半に銀波荘を発つ。殆ど高速道路の連続で行けるのは有難かったが、途中、福井まで160キロという表示にはうんざりした。 そんなに遠いのか?幸い、 ガラ空きの北陸道を飛ばすことにした。それでも宿に着いたのは15時35分だった。 ちょっとくたびれた、という感じだ。着くなり洗濯物の山を渡した。

 お花見久兵衛の部屋はとても良かった。8帖のベッドル−ム、8帖の和室、8帖のリビング、そして8帖のテ−ブル室。8人の人が一遍に入れる足湯、広い露天風呂。こんなに広くて勿体ない、和室なんか大きなトランクを広げただけで、成子は一回も上がって来ない。
窓の外は渓谷風の川を隔てて、人影の全くない大きな山がドーンと広がって、まるで自分の山を見ている感じで、とても素晴らしかった。
 成子のお風呂入れは、フロントのスタッフに手伝ってもらった。

なか日はいつも{摘便}の日で、これをこなしておけば移動日にウンチでオムツが汚れる心配もなく、とても気が楽だ。
出発前に色々心配をしてもらったのに、二ヶ所4日間の旅を終えて、何の問題も無く、快適そのもの。嬉し過ぎて、心配してくれた人たちに悪い気さえする。そしてこれはとてつもなく楽しい旅の予感がして来た。
 お花見久兵衛を午前11時に出て輪島の能登の庄に向かう。途中千里浜なぎさドライブウエイを走る。日本海の怒涛が押し寄せる砂浜の上を車が、バスまでもビュンビュン走り抜ける。とてもいい気分。又厳門にも行ってみたが、あいにくの雨で良く分らなかった。
早く宿に入ろう、と車を飛ばす。 宿{能登の庄}は輪島の町から6キロ程離れたメイン道路に沿った処に建っている。道路の向こうは海だから、海の眺めは素晴らしい。部屋構成はとてもコンパクトに出来ていて、我々にとって丁度良い感じ。一階なのに海の眺めは良く、部屋付きのお風呂もとても良かった。

お風呂に入る時はフロントの人に手伝ってもらった。お食事は別の個室で堀炬燵になっていたが、それは使わずにちょっと高めの座椅子を用意してもらった。 ところが成子の足先が堀炬燵に落ちていて、段々ずれ落ちて引っ張り上げるのに大変だった。

料理の質はとても高く、大満足した。食事部屋に行く廊下に5段の低い階段があり、仲居さんやスタッフが見守る中を成子が歩いて通過すると、皆が一斉に拍手して喜んでくれた。成子はもてもてでニコニコのしっぱなしだった。僕も嬉しくて、なんて良い旅だろう、と感激してしまう。 成子を連れて旅行すると、行く先々での人々から、とても喜んでもらったり、感激してもらったり、触れ合いが濃厚に膨れ上がってくるのです。二人とも幸せだなあ、の気持で一杯になる。心配事など何処にも無く、全くその逆の現象に驚いてしまう。こういうことになるとは誰も予想しなかった。

10月28日、奥能登のランプの宿に向かう。長距離ではないので気が楽だ。白米千枚田を見る。刈入れの終わった後で、迫力が無い。奥能登を進むうちに、素敵な瓦屋根に気が付いた。黒く光っている。屋根だけでなく家全体が黒く、とても落ち着いた雰囲気。それが何処の家も同じ色合いで、纏まった集落になると強く訴えるものがある。大都市から離れた辺境の地だけに、その生きざままで想いやられてくる。 海の里、山の里として世界の農業遺産になっているようだ。こんな素敵な集落は本当に珍しいと思った。

 能登半島の最先端にあるランプの宿の大きな駐車場に着いた。随分でかい宿なんだ、と思った。 ところが宿の姿は影も形も全く見えない。ここから先はどうも自家用車では行けないみたい。
で、宿に電話した。直ぐに迎えの車が来てくれたものの、成子の様子を見て、若いスタッフを呼びに行く、と言って帰ってしまった。
間もなく力の有りそうなスタッフを連れて来た。そのスタッフは成子を軽々と抱えて迎えの車に乗せせくれた。僕は急いで荷物一式を移して同乗した。
どうも宿は崖の下にあるらしい。どうやって行くのかな、と見ていると、車は崖に作られた急勾配の道を下っていった。あれっ、と思ったら崖の途中の平な処で一旦止まり、バックし始め、そのまま急勾配の坂道を降りて行く。怖くてとても僕には出来ない技だ。つまりスイッチバック方式の道なのだ。崖の降り方として納得した。

その崖の下に宿がひっついていた。よくこんな処に宿があるな、不思議でたまらない。
部屋に通された。ええっ、荒海の怒涛が押し寄せて来る。殆ど同じ目線で、岩にぶつかって舞い上がったしぶきに見とれて立ち尽くしてしまう。大小様々な突出した岩に波が当たって砕け、白い泡が海全面に広がって行く様は迫力満点、部屋にいながら海に襲われてしまいそうな感じ。これは凄い!窓一面の海という経験は何回もあるが、怒涛が押し寄せて来るという感じの部屋は初めてだ。

この宿にいる足掛け3日間、怒涛に見とれっぱなし、と言っても良いくらいだった。あっ、大きな波が来た。凄いしぶきが舞い上がるのではないか、と思うと、成子に食べさせるのを忘れて見とれてしまう。  11月1日加賀屋に向かう途中、雨に靄う軍艦島を見た。観光客は一人も居なかっただけに、大きな軍艦が独り静かに浮かんでいるみたいで、その壮大さに見とれてしまった。カ−ナビの指示通りに走っていたら、いつの間にか能登島に案内されて、まるで観光ナビのようでビックリした。とても大きな島なのに人影が殆どなく、隅々まで綺麗で、穏やかそのものだった。大きな橋を渡り、雨の中を加賀屋に着いた。午後2時だった。

早速お姉さんが見えた。おっーと思うほど美人だった。雨だったので荷物運びは大変だったが、実に鮮やかに処理してくれた。  お部屋は充分な広さがあり、露天風呂もとても広かった。ただ大きな樽状のお風呂だから、湯船の縁は4センチ位しかなく、そこに腰掛けるにはちょっと苦しいな、と思いながら傍に近いて見ると、湯船の脇に四角い台があり、その上に円板の板が台をはみ出して取り付けてあった。 その台に触ってみると可動式で、湯船に寄せてみると、丁度円板が湯船に被さる仕掛けで、その円板がぐるぐる回る。成程、成子を円板に腰掛けさせて円板を回してあげれば成子の足が難なく湯船の中に入り込む。これなら僕独りで成子をお風呂に入れてあげられる。

こんな装置が付いているお風呂は初めてだ。加賀屋のきめ細かい、行き届いた配慮が嬉しい。  3時になったら、さっきのお姉さんがもう一人の女性を連れて見えた。新しい女性がこの部屋の正式の仲居さんで、自分は早く着いたお客の為の繋ぎの仲居だと言う。色々なケ−スを事細かに想定し配慮しているようだ。
 一休みしてから、成子をお風呂に入れた。前の4軒の宿とも仲居さんの応援を受けたが、二人だけで入れたのは初めてだった。何時もと違って緊張感がなく、寛いだ気分で嬉しかった。  部屋で豪華な食事を楽しみながら、仲居さんに「今日11月1日は二人の記念日なんですよ」 「なんの記念日なんですか」 「ヒマラヤのゴウキョ・ピ−クと言う5500メ−トルの絶好の展望台に立った日なんですよ。丁度12年前です」 「うわー、お年を召されているのに、凄いですね」

「有難い事に二人とも足が達者で、こういう処に来られるのも足が達者のお陰ですね」  その話が終わって、仲居さんが5分ほど席をはずして、戻って来た時に 「おかみさんに話したら、記念撮影をしてあげて、と言われました。もうすぐプロのカメラマンが来ますから」 「へえー、そういうこともしてくれるんだ。ビックリだね。加賀屋って違うね」 と言っている内に、プロカメラマンが見えて、あっと言う間に二人を撮影してくれた。 台紙に貼られた成子の写真は幸い目を開けていた。 「お客さまはどうしてこんなに仲がいいのですか?」 「二人とも遊び好きで、何時も二人で遊び歩いていた。絶好の遊び友達なんですよ。それが仲の良さを支えたのではないかな。
ほら、重い病気の家内を連れて、こうやって旅行しているのも遊びそのもの。相当根性が入っているよね。貴女も遊び相手になる人を見つけたがいいよ」 「仲が良ければ、こんな遠くまで旅行出来るのですか」 「今を生きる、と言う言葉があるじゃない。僕の奥さんは重い病気になって、僕はとても悲しいけど、この現実から逃げる訳にはいかない。 どうしたら今を楽しく生きられるか。ぴったり寄り添って生きる一つとして、二人とも好きだった旅行をしてみよう。これは正解だったと思う。 知らない土地を見たり、美味しい物を食べたり、出会った人から、凄い、素敵、感動した、と言われて嬉しくてたまらない。そうすると、距離なんか何処かに吹っ飛んでしまうよ」 「私本当に感動して胸が一杯です」

そんな話を三日間していた。  宿の中日、仲居さんから 「家には介護経験者がいて、奥さんをお風呂にお入れすることが出来ます。私がお連れしますから」という申し出があった。 「ええっ?それ有料じゃないの?」 「いいえ、無料のサ−ビスです」 「加賀屋って凄いことをするんだね」 女性風呂に入れるべく、二人の女性が成子を連れて行ったが、途中の階段が登れずに帰って来てしまった。 「すいません。お風呂に入れてあげられなかった」 「いいんだよ。介護のお姉さん独りで成子をお風呂に入れようとしたら、かえってえらい苦労になってしまう、と心配してたんだ。逆に安心しましたよ。有難うございました」 「そう言って頂いて、ほっとしました」

11月3日、仲居さんともお別れの日、全ての支度を終えて、成子を車に乗せて、仲居さんとお別れの握手をしたら、彼女泣きだしてしまった。 「本当に良いお話を山のように聞かせて頂いた。なんて素敵な夫婦でしょう」 「とても楽しかったね。どうも有難う」

男性のスタッフと彼女のたった二人のお見送りだったが、ジ〜ンと胸が熱くなるような忘れ難い別れで、加賀屋はとっても良い宿と思った。

 和倉温泉から新穂高温泉までは可なりの距離があるが、途中、相倉、五箇山、白川郷の合掌造りの集落だけは見ておきたいと思った。
ところが車を降りてゆっくり見れたのは相倉と五箇山だけで、白川郷などは観光客で大混雑、車から降りる事がなかった。それでも山のホテルについたのは5時だった。

 成子の手を引いてフロントに入って行くと、 「あらー、なんて優しいご主人でしょう。私、涙が出てきちゃう」
フロントの女性から声が掛かった。嬉しい入場だったが、通された部屋は感心しなかった。
露天風呂付を確認しておいた筈なのに、風呂付で〜す、と言われた風呂はユニットバスだった。温泉旅館に来てユニットバスには入りたくない。まあいいや、ここは1泊だけだから、成子に今日は風呂なしとしよう。 「お母さん、ご免ね、今日だけはお風呂なしなんだよ。」

本来、この宿には泊まらずに、次の槍見館に入る予定だったが、槍見館の予約が取れずに、繋ぎの意味で1泊だけここにした。しっかり下調べをしないとこういうことになる、と反省しきり。でも、この宿にも良い処が一つあった。

急なケ−ブルカ−にのって30メ−トル下の河原にある大きな混浴の露天風呂はとても大きく素敵だった。
お風呂に浸かりながら河原の上流に目をやると、雪を被った槍穂高の雄姿があった。夕がたと朝の二回も入って充分満足した。成子には見せられなかったが、こういう時、僕の目は成子の目と思うことにしている。

 次の槍見館は同じ温泉場だから、直ぐに到着してしまう。  そこでさらに足を延ばして  滝にまで行ってしまった。宿に着いたのが14時丁度。良い時間だった。
部屋はフロントから一番近い処にしてくれた。部屋付きの露天風呂が良かった。四角いお風呂だが、お風呂と壁の間に、風呂の縁と同じ高さでの幅30センチほどの板が敷いてあり、成子をそこに腰かけさせて足を回せば、ストンと湯船に入れる。
これはいい。加賀屋と同じように、僕独りで成子をお風呂に入れられる。

良い宿というのは考え抜いて設計された極め細やかさがあるみたいだ。 夕食時、女将さんが見えて、「賄いの仕事で、長い事病院勤めをした事があるのよ。だから 知っているのだけど、病気が重いのに、こんな良い顔をしている人は初めてだわ。穏やかで明るく、とても素敵。ご主人の深い愛情の賜物なのね。それにこんな旅している人は皆無でしょうね」と言ってくれた。

11月6日、10時40分槍見館を出発した。体調は快適、気分も爽快。疲れたという思いは微塵もなく、こんな旅だったらもっと続けたい思いだった。 出会った全ての人々に厚くお礼を言いたかった。僕と成子の人生における貴重な旅となった。
午後4時頃に我が家に帰着した。        “完”