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入会当時の回想
上級 伊藤 芳郎

 早いもので、入会してから10年以上も経ちました。当 時を振り返ると正月も近づいた12月中旬に娘に付き 添ってもらい初めて教室に入りました。
当時は大勢の会員で机の周りはほとんど空きが無いほど埋まっていまし た。そこでいきなり皆一斉に「あ」の発声を始めだから びっくり、すごい声が響いてきた。
こんなに声が出るんだと驚いた。はたして自分もこんなに声が出せるように なるんだろうかと思った。

入会した次の週は二学期の終了日で、正月休みに入って休み明けの三学期から通うよ うになりました。「あ」の一声も全く出ていないのに月 末に行われたホテルでの新年会に出席して当時からお酒 だけはしっかりと頂いて「しようがないものだ聞き役に まわっていました。
そのうち「あ」の声も出るようになり「あたま」もいえるようになってきて、約一年で中級 へ、しかしその後が全く進まない、どうも飲込みと吸引 の切り替えが上手くいかないので言葉が続かない、当時 は神奈川銀鈴会だけでなく東京銀鈴会へ通っている大も 多く、自分も東京へ行かなければこれ以上は無理かなと も思った時も有りました。

一年と半年が過ぎた頃から吸 引が少しずつ進化して行きました。教室での練習、そし て新聞・雑誌の音読、そしてテープ録音での声の確認、 これは今でも続いて、両面で一時間のテープが200本 近くになりました。
2年で上級へ上がりましたが、出し ずらい音が沢山あるまま今に至っています。当時は参加 者も多く周囲の人の事も良く分かっていて「彼は最近急 に上手くなってきた感じだ、次は上へ昇るんだろうな、 など若干の競争意識の様なものもあって、張り合いが あったものですが、今では参加者が少なくそのような場 面は中々見られなくなっていますが、反面、中身の濃い 練習も出来ると思います。

声帯を悪くして25年近く なりますが、喉摘になるまでの間、2年に1回の手術を 六回受けていました。
というのは一回手術を受けてから 次第に声が出なくなり二年近くになると全く出しずらく なる、その繰り返しで七回目に、いよいよ、という事で、 放射線治療を受けて完治したかに見えたが、再発し、喉 摘になりそれから10年ほど経過して今に至っていま す。

声を悪くした当時、電話も出来なくなり、やむなく 会社勤めを辞めざるを得なくなり、50代半ばで家内が やっていたお店をやるようになり、それがまだ続いてい る状態です。喉摘になってからは、食道発声の練習の場 でもありました。
始めの頃は当然筆談で、身近にメモ用 紙を沢山用意していました。そのうちELも使うように なって、お客さまに驚かれると同時に「すごい器具があ るんだね」と感心される事も度々ありました。

自分の声 の変化と共に歩んできたお店も、今になっては中々やめ れずにいますが、来年には後期高齢者の仲間入りになる ところまで来たので、そろそろ考える時期に来ているよ うです。これからも神奈川銀鈴会の一員として新規会員 が増えて来ることを願い、また現会員の方でも 体調の許す場合は教室へ来て、仲間との会話を楽しんでみては如 何でしょうか。
実際の仲間との会話が、いかに食道発声 に必要な事かと発見する場でもあります。私自身もこれ からも教室へ通い続けて仲間との会話、カラオケ、そし て教室終わってからの軽く一杯、これからも続けられれ ば、幸いだと思っています。

神奈川銀鈴会の会報第44号(平成29年)から掲載しました